保健室にて


授業中に怪我をした生徒の手当を済ませ、片付けるから先に教室に戻っているよう指示した後、自身は使ったピンセットや絆創膏を棚に戻した時だった。
気の所為か……と、一旦は考えるのをやめた手塚だが、よくよく耳を澄ませてみると、確かにカーテンで仕切られたベッドのほうから女の子の呻き声とも泣き声ともつかない声が聞こえてくる。
折悪しく養護教諭は席を外しており、保健室には手塚とその女生徒しかいないようだった。
無視しようとも思ったが、保健室で寝ている以上はやはり体調が悪いのだろう。もし急を要するようなケースだと後々困ることになると考え直し、そっとカーテンを引いた。
真ん中のベッドの布団が人間の形に盛り上がっており、声はその中から聞こえてきているようだ。

「大丈夫ですか?」

意を決して声をかけてみるが、呻き声が聞こえる他は反応がない。
顔色だけでも確認しようと、枕元に近寄る。鼻の辺りまで布団に隠れているが、その女生徒が最近転校してきたばかりのクラスメイトだということは判った。

「あ……」

咄嗟に名前が出て来ず逡巡している間も、その少女は涙をいっぱい溜めた怯えたような瞳で手塚を見上げている。
テニスに夢中であまり異性に興味を持たない手塚でさえ知っているほど、その少女は可愛い顔立ちをしていて、転校初日から学校中の男子生徒の話題に上っていた。
ようやく名前を思い出す。という生徒だ。
彼女は熱っぽく潤んだ瞳に涙を浮かべ、じっと手塚を見つめている。あまりの可憐さに、少なからず鼓動が早くなった。

「具合が悪いのか?」

ぎこちなくそう切り出すと、は困惑した様子で小さく頷いた。
何かを伝えたいのだろうが、躊躇しているような表情だ。
手塚は不思議に思いつつも、質問を重ねる。

「休んだら良くなりそうか?もし辛いのなら、早退したらどうだ」

時計を見ると、もう五限目の授業が終わろうとしている。
残りあと一時間。無理をして出る必要はない。

「先生には俺から伝えることもできるが、さんが自分で職員室に行けるのなら、直接早退を申し出れば大丈夫だ」

は黙ったまま俯き、考えている様子だった。
無理もない、と手塚は思う。まだ転校してきたばかりで青学の校風や慣習もわかっていないのだし、早くクラスに溶け込みたいであろう今の時期に易々と早退すると、教師や生徒たちに体の弱い子と位置付けられてしまうかもしれない。
は唇をぎゅっと噛み締めて、必死にどうしようか考え込んでいるように見えたが、その形の良い小さな唇が「あのっ……」と思い詰めた調子で開かれた。

「どうした?」
「その、誰にも、言わないでくれる……?」
「ああ」

体調が悪くて早退することを黙っていて欲しいということだろうか。同年代の女子の心理は、手塚には解らないことが多い。別に言い触らす理由もないのですぐに頷いたのだが、次に彼女の口から飛び出した台詞には、さしもの手塚も思わず驚きを隠せなかった。

「あのね、具合悪くて休んでたら、オネショしちゃったみたいで……」
「え……」
「ご、ごめんなさい……」

叱られると思ったのか、はみるみる涙を溢れさせ、しゃくり上げる。

「え……っぐ、っく。さっき起きたら濡れてて、わたし全然しちゃったのわからなくて……」

本人も突然の失態に軽いパニックを起こしているようで、舌足らずな口調で必死に説明しようとしているが、上手く言葉が繋がっていない。
急に、目の前の同い年のクラスメイトが小さな女の子に見え、手塚は腰を屈めてと目線の高さを合わせてやる。とにかく落ち着かせようと、頭をポンポンと叩いた。
すると、それが彼女の心の中に張り詰めていた糸を断ち切ったのか、火の付いたように泣き出した。

「うわぁぁん」
「そうだったのか」
「ううっ、えぐっ……」
「よく話してくれたな。……もう大丈夫だから」

の頭をあやすように撫でながら、しかし濡れた箇所は早く処理してやらないと体が冷えてしまうことに思い至る。

「とにかく、着替えないとな。濡れたままだと体が冷えてしまうから。布団を捲っても大丈夫か?」
「ふぇーん……。ぇ……っく。ひ、っく…」
「そんなに泣くことはない。具合が悪くて動けなかったのだろう?」
「そうだけど、中学三年生にもなって、その、お漏らしするなんて思わなくて……」

手塚はまだ泣き止む気配のないの頭に手を置いたまま立ち上がると、ゆっくり白い掛布団を捲った。
短めのスカートからすらりと伸びた細くて白い足。その両脚の間には確かに、灰色の染みが楕円形に拡がっている。

「ゃ、やだっ……!見ないで……っ!」

慌てて前を抑えようとするの腕をそっと押しやり、

「スカートは……」

と、躊躇いがちにスカートに手を伸ばした。一見すると無事なように見えたが、一通り触れるとお尻の辺りが濡れている。

「着替えのジャージは持っているか?」

は弱々しく首を振った。手塚はそうか、と頷いて一旦ベッドから離れると、保健室の中を物色する。
隅のほうに『女子用衣類』と書いたラベルが貼られた棚があり、そこを開けると箱に詰められた白い無地の下着と学校指定のジャージが入っていた。
その中からショーツを一枚とジャージのズボンを持ってのベッドに戻る。

「これに着替えて、今日はもう帰ってゆっくり休むといい。ベッドは俺が片付けておくし、保健の先生にもちゃんと伝えておくから安心しろ」
「……っ、そんな、汚いよ……」
「これもクラス委員の仕事だ。気にすることはない」
「でも……っ!」
「取り敢えず、俺は一旦離れるから、着替えたら声をかけてくれ。もし具合が悪くて一人で着替えるのが辛いなら、手伝うからその時は声をかけてくれるといい」
「でも……」

と口ごもった瞬間、の体がぐらりと揺れた。

「大丈夫か!?」

慌てて抱き止め、顔を覗き込むと貧血でも起こしているのか蒼白である。

「ごめんなさい、ちょっと眩暈がして……」
「貧血か?」
「ううん、低血圧なの……」

抗う余力がないのか、抱いている腕を振り払われることはない。

「その様子だと、一人で着替えるのは難しそうだな」

は腕の中で躊躇いがちに小さくこくりと頷いた。恥ずかしがっているのが、ほんのりと赤く染まった耳朶でわかる。
手塚は彼女をゆっくりと仰向けに寝かせてやり、スカートの中に腕を差し入れて濡れたショーツを脱がした。冷たくなったそれはぺたりと肌に張り付き、ツンとしたアンモニア臭を放っている。
次いで、スカートのホックとジッパーを引き下げ、肌から離した。

「少し触るが、いいか?」
「う、うん……」

タオルで濡れたところを拭いてやる。相手が病人だからだろう。
看病していると思うと、不思議と羞恥心はなかった。
新しい下着をつけて、ジャージのズボンを穿かせ終える。

「一人で起きれるか?」
「う、ん、やってみる……」

とは言ったものの、やはり眩暈が酷いのだろう。体を起こそうとしても上半身がぐにゃりと頽れるので、抱きかかえて隣のベッドに移動させた。の体は、羽根が付いているかのように軽く、その現実感のない感覚に手塚は思わずどぎまぎしてしまう。

「あ、ありがとう……」
「気にするな」

いつも以上にぶっきらぼうな返事になってしまったが、肩口まで布団をかけてやるとは漸くはにかむような笑顔を見せた。
他の男子生徒が噂するように、笑うと更に可愛らしい顔になる。
手塚は鼓動が早くなるのを悟られないようにしながら、

「家は遠いのか」
「ううん、歩いて十五分くらい」
「誰か迎えに来られる人はいるのか」
「多分、ママがお家にいると思う」

などと事務的なやり取りを済ませる。
それなら迎えに来てもらったほうが良いのでは、と進言したところで、ちょうど養護教諭が戻ってきた。

「あらぁ、手塚くん。長いこと席外しててごめんね……って、あれ?」

養護教諭は手塚と、そしてカラになった濡れたベッドを見回し、「ああ、なるほど」と合点したようだ。多くは語らなかったのは、の気持ちを慮ってのことだろう。

さん、頼りになるクラスメイトで良かったね」
「はい」

同性の目から見ても人目を惹く愛らしさなのか、彼女は指先での髪を梳きながら声をかけた。

「先生、彼女は眩暈が酷いみたいで。もう早退したほうがいいと思うのですが……」

手塚の言葉に、養護教諭も頷く。

「じゃあ私、担任の先生に言ってお家に連絡してもらうから、手塚くんもうちょっとだけさんのこと看ててくれる?」
「わかりました」

バタンとドアが閉まると、手塚とはどちらからともなく視線を合わせ、そして小さく微笑み合った。

ある本の挿絵を見て思い付いた作品。手塚部長、最愛の人だったんですけどね(過去形:笑)。