数年ぶりの失敗

その日は色々とツイてなかった。
学校を出る時、は僅かに尿意を催したけれど、家まで我慢できると思い、トイレには行かず校門を抜けた。実際、いつもの彼女なら徒歩十分程度の距離はなんてことないのだけど、夜遅くまで試験勉強をしていて寝不足で、注意力が散漫になっていたというのもある。しかも何だか体がダルい。微熱もあるようだった。

「あ、ちゃん」

しかもこんな時に限って、帰り道で友人に呼び止められ、お喋りに興じることに。十分くらいしか喋っていなかったと思うけど、は尿意に意識が集中していて何を話したのかも覚えていない。友人と別れる頃には、ほんの少しだけれどショーツの中にオシッコを零していた。

(あぁぁっ、早く帰らないと全部漏らしちゃう……)

急ぎ足で自宅に帰り着き、ドアを開ければ手洗いまでもうすぐということで、一気に気が抜けたのだろう。玄関に足を踏み入れた瞬間、下着の中に生温かい感覚がふわっと拡がる。

「あっ……!」

時々、酷い咳やくしゃみをした時におちびりすることはあるけれど、明らかにちびったと言える量を越えていた。股間に張り付く布の感触が、余計に彼女の混乱を煽る。

(うそっ、おもらししたなんて……。もう中学生なのに……)

中学三年生、十五歳。最後にお漏らしなんてしたのはいつだったろう。まだイタリアに住んでいた頃、学校から帰ったら家の鍵が開いてなくて、我慢できずに玄関の扉の前で失禁してしまったことがある。でもあの時はまだ小学生だったし、ちょうど帰ってきた父親は娘の失敗を責めなかった。
まだ十歳なんだから、と。優しく後始末をしてくれたっけ。
それはある種、甘やかな感傷だった。は母親よりも父親が好きである。ファザコンだと自分でも認めるくらいに。
サッカーのスター選手である父は今でも現役で活躍しているし、今回の帰国だって次回ワールドカップの全日本代表に選ばれたからだ。普段はイタリアで活躍しているけれど、両親が東京にも家を購入したのは引退後を見据えてのことだろう。そして今は、も両親が日本に居る時は寮ではなく自宅に帰るようにしている。ただ一年の大半を寮生活で過ごしてきたので、その感覚のズレも寝不足の頭では上手く計算できなかったのかもしれない。

(寮だったら、教室から出てすぐだったのになぁ)

帰りに友人にも会わずに済んだだろうし、確実にトイレには間に合っていた筈だ。
は何とか玄関先で全てぶちまけるのを堪えたものの、ローファーを脱いで三和土に上がったところで一番強い波が襲ってくるのを感じた。

「あっ、やだ……」

思わずしゃがみ込みそうになるのを、両足を踏ん張って体勢を保ってみるが、少女の小さな体では膀胱を押し開こうとする水圧には敵わない。バサッと音を立てて通学鞄が床に落ちる。その音にびくりとして、冷えかけていた下着の中にはまた温かな感触が広がった。

、帰ってきてたのか?」

リビングに続くドアが開いて、父親が顔を覗かせる。

「あ、パパ駄目、見ちゃ嫌……っ」

嫌あぁぁぁ、と自分の悲鳴が高く尾を引くのと同時に、抑え切れなかった尿意が完全に解放されるのがわかった。シャーッという排泄音がの耳にもはっきりと聞こえ、惨めさや歯痒さや恥ずかしさが相俟って、火が出ているのではないかと思うほど顔が熱い。

「あ、ちょっ……大丈夫か!?」
「う、うわあぁぁん……」
、そこでじっとしてろ」

タオル持ってくるから、と父親は驚きつつも落ち着いて洗面所から幾重にも重なったバスタオルを持ってきてくれる。

「や、見ちゃ嫌あぁぁ」
「うんうん、びっくりしたよな」

よしよし、大丈夫だからなー、とまるで幼子に言い聞かせるように彼はの頭を撫でた。実際、今のは幼児に戻ったような心境である。

(お漏らししちゃった……。しかも、おトイレまでもうすぐだったのに……)

中学生、十五歳にもなって。誰よりも大好きなパパの前で。
情けないやら恥ずかしいやらで大きく声を上げて泣いた。

「ふ、ふえぇぇ……」
「具合でも悪かった?」

はふるふると首を横に振る。父親は叱るでもなく、そっか、と呟いて、そういうこともあるよな、と殊更明るく言った。

「ご、ごめんなさい……」
「いいって。家で良かったよ」

一枚の大判バスタオルを濡れた所に被せ、もう一枚はの足下に敷く。
その時再び胴震いが起きて、あっと思った時にはもう、緩んだ膀胱を締める余裕はなかった。

「や、あぁぁぁあ」

ショーツの中にぬるま湯が渦を巻く感覚。足下のバスタオルには薄い黄色の染みがみるみるうちに広がっていく。いつもならこれくらいの尿意は我慢できるのに。その思いがいっそうの気持ちを暗くして、大きな瞳から涙を溢れさせた。

、ほんとに大丈夫か?体の調子が悪いとか……」

父親の声音は心底娘を心配している様子で、額に手を当てて熱の有無を確かめたりしている。寝不足で微熱があるのに加え、羞恥と号泣で体温は上がっている筈だ。

「少し熱があるんじゃね。着替えたらゆっくり休もうな」
「ごめんなさい……」
「泣かないでいいから。落ち着いたらそのまま風呂場に行こうか」
「本当にごめんなさい……」
「だから気にすんなって」

それより全部出たか、とまだポタポタと雫を落としている脚の間に目を遣って、日向はに訊ねる。泣きじゃくる娘の姿は幼い頃と変わらず、不意に愛しさが込み上げた。

「ぜ、ぜんぶ出た、と思う……」
「そかそか」

じゃあ移動しような、と昔の感覚で小さな体を抱き上げる。妻に似た娘の体型は、中三でも身長が伸びず華奢なままだ。鍛えている体には、羽根が生えているのではないかと思うほど抱いていても軽く感じる。

「パパ、お洋服が汚れちゃう……」
「ああ、いいんだよ。どうせ洗濯しようと思ってたし」
、自分で歩けるよ……」

無意識の内なのだろうが、予期せぬ失禁で幼児退行してしまったのだろう。彼女が自分のことを名前で呼ぶ時は、甘えたいのか弱っているのかどちらかだということくらい、日向だって気付いている。

「いいんだよ、偶には」
「恥ずかしいよ……」
「もう少しだったのにな。我慢できなかった?」
「ぅ、ん……」

耳朶まで赤くなっているのは発熱の所為もあるのだろうか。首筋にかかる熱い吐息をくすぐったく感じながら、風呂場の床に娘を立たせた。

「制服の上着は脱いでおこうな」
「うん」

スカートは前も後ろもぐっしょりと濡れていて、ずっしりと重い。張り付いている可愛らしいレースの下着を脱がせてやる間も、彼女はされるがままにじっとしていた。

「ここまでやったら、あとは風呂に入れるだろ」
「あ、ありがとう、パパ……」
「いいよ。上がったらゆっくり休むんだぞ」

さらさらとした髪を撫でてやっていると、「小次郎―?」と嫁の呼ぶ声が聞こえてくる。

「どこにいるの?」
「風呂だよ」
ちゃん帰ってきてるの?」

玄関のタオルどうしたの。わ、びしょびしょ、これ何?ただのお水?きゃ、違った!
全くデリカシーの欠片もないヤツだよな、と目の前で怯えたように自分を見上げてくる娘に苦笑して見せる。

「ママ、怒るかなぁ……」
「大丈夫だよ、熱があったって言えば」

それから日向は、風呂のドアの外に向かって、「ちょっと具合悪いみたいだから」と声を張った。

「ええー!大丈夫なの!?」
「俺が看てるから大丈夫だよ。は暇なら玄関片付けとけよな」
「わかったぁ」

娘が可愛いのはとて同じである。「ちゃん大丈夫かなぁ、風邪かなぁ」と心配そうに呟く声が遠く聞こえた。

「じゃあ、何かあったら呼べよ。具合悪かったら無理しなくていいから」
「うん、シャワーだけにするね」
「ああ、それがいいと思う」

また後でな、との頭を撫でて、日向は後ろ手にバスルームの扉を閉める。
ちょうど片付けを終えたらしいが手を洗って戻ってきたところだった。

ちゃん、お漏らしするなんて余程キツかったのねぇ」
「そうだな」
「ああ、小次郎が家にいてくれて助かったわ。買い物に行ったら弥生ちゃんに会って話し込んでたものだから」

今日は全日本代表の練習は休みだ。三杉とは毎日のように顔を合わせているので、今更弥生の近況は訊かなくてもわかっている。しかし嫁同士は久しぶりの再会らしく、会う度に長話をしていた。

「親善試合までには具合良くなるといいわね」
「明後日だからな。には無理させないでいいから」
「わたしは観に行くわよ」
「わかったよ」

ふと、が十五歳だった時のことを思い出す。自分とは付き合って三年目で、手のかからない恋人だった。だから、同じ顔をしたの世話を焼くのが何だか新鮮で楽しくもある。

(けど普段子供っぽいのはこっちだよな)

日向は気の強そうな瞳で自分を見上げているの頭を一つポンと叩いて、自身も着替える為にリビングを後にした。

おもらし+風邪ネタの萌えの相乗効果。