小説タイトル

一つ年下の妹が生まれてからというもの、父親の関心は専らその娘に移った。も母親に似ていると散々言われるが、妹のは母親にまるで生き写しである。そして父親は母親の類稀なる美貌を何よりも愛していた。

「もう、小次郎ったらばっかり可愛がって」

母親が頬を膨らませるほどの偏愛ぶりについてはも内心、面白くないと思っている。けれど誰よりも大好きな当の父親に「はお姉ちゃんだから我慢しような」と言われると、何も言い返せなかった。

(だって、私がいい子にしてたらパパは喜ぶもの)

そう言って、事ある毎に「はお姉ちゃんだから」と両親に言われ、に劣ると苦い顔をする二人だが、が粗相をした時だけは別だ。呆れたような溜息をつく母親の隣で、父親は決して彼女を叱らなかった。

ちゃん、よりお姉ちゃんなのにおもらししてる」
ちゃん、ちゃんが見てるでしょ」

くすくす笑う妹と悲しむ母親を窘め、唯一手を差し伸べてくれるのは父親だけだ。

「我慢できなかったんだよな」
「ぅ、ん……」
「大丈夫、にはパパがいるから」
「パパ……」

何度、幼子のように声を上げて父親の胸に泣き縋っただろう。
が生まれてから数年経った頃、急にトイレの回数が増えた。夜の失敗なんて一度もしたことがなかったのに、父親の愛情が妹にばかり向かうようになると、月に何度か布団を濡らした。だが、同年代の子供に比べたらまだ少なかったほうだ。従って両親も最初は気にも留めていなかったのだが、昼間の失敗が増えるようになると、流石に二人とも表情を曇らせずにはいられなかった。けれど父親はを溺愛するのを止めなかったし、母親は本気で嫉妬していたのか、に厳しく接するようになった。

ちゃん、お姉ちゃんなんだからもうちょっとしっかりして」
「ご、ごめんなさい……」

美しい母親は叱っているつもりなのだろうが、今にも泣き出しそうな顔をしていて、その言葉は哀願にしか聞こえない。その顔を見ているとの胸も痛み、しっかりしなきゃ、という思いが余計に彼女を追い込んだ。だから中学生になった今でも時々、昼夜問わず失敗してしまう。





その日は夕食後、リビングでテレビを観ていた。最初は、「あ、おトイレに行きたいかも」くらいの尿意だったのに、一瞬にして下腹部を圧迫するほど膀胱が膨れ上がる。

(やだ、間に合わないっ……)

そう思った直後には、ショーツの中にくぐもった水音を響かせていた。

「あ……」

フローリングの床に拡がっていく水溜り。の穿いていたデニム生地のショートパンツは瞬く間にびしょびしょになる。
きゃっと小さな悲鳴を上げて、が大袈裟に飛び退いた。

「お姉ちゃん、またおもらししたの?もう中学生だよ」
「わかってるわよ……」
「なんでおトイレ行かないの?」
「行かないんじゃないもん、間に合わなかったんだもん……」

母親に瓜二つの気の強そうな眼差しが、を見下ろして責めた。
背後の異変に気付いたのか、父親がソファから腰を上げて姉妹のもとへやってくる。

、そんなこと言っちゃ駄目だぞ」

、おいで。
少し困ったような、けれど怒っているわけでもない。父親はその時ばかりはよりもに優しくて、彼女は妹の前ということも忘れて縋って泣いた。

「うわぁああん、パパぁ……」
「大丈夫だからな、が一番びっくりしたろ」

そう言って慰めてくれる声の甘さに、は幼少の頃に戻ったような錯覚を覚える。
父親はいつも、には甘かった。

ちゃん、こっちに来なさい」

母親が溜息交じりに妹を呼び寄せるのもいつものことだ。

ちゃん、お洋服着替えてきなさいね。お掃除はママがやっておくから」
「ごめんなさい……」
「いいのいいの」

不服そうに唇を尖らせるのはで、その不満は全て姉に向けられた。この時ばかりは自分の大好きなパパを姉に取られたことも悔しくて、妹は泣き喚く。
どうしてパパはお姉ちゃんの味方するの。おもらししたお姉ちゃんが悪いのに。
その泣き声が矢のようにの背中に刺さり、余計にしゃくり上げていたら見かねた父親がを抱きかかえて洗面所へと連れていってくれた。

「気にするなよ、の言うことなんて」
「でも、ちゃんの言う通り、だから……」

中学生にもなっておもらしなんてするほうがどうかしている、と自身も思う。

(だけど、また我慢できなかった……)

突然強い尿意に襲われ、たじろいでいる内に漏らしてしまった。床に水溜りが拡がっていくのを呆然と眺めていたら、いち早く見咎めたに詰られる。
この妹はまた、驚くほど失敗をしない子供だった。の記憶にある限り、オネショなんて一度もしたことがないし、日中に失禁している光景も見たことがない。巧妙に隠しているのかもしれないけれど、オムツ離れが早かったのは確かだし、だからあんなに居丈高にを責められるのだと思う。

「でも学校にいる時は大丈夫なんだろ?」

父親の問いに、はこくりと頷く。不思議なことに、学校で危なげな目に遭ったことは一度もない。自分でも気を付けて、休み時間の度にトイレに行くようにはしているけれど、家での失敗の頻度と照らし合わせると妙な感じだった。

「家の中で、のストレスになるようなことがあんのかな……」

濡れた部分を手早く拭きながら、彼は独り言のように呟く。ストレスがあるとしたら、だ。

が私からパパを取った……)

父親が彼女を愛するように、もまた、父親にべったりである。それは少し前まで、だけの特権だった筈なのに。がある程度歳を重ね、母親に似れば似る程、父の執着は彼女へと移った。性格も若かりし頃の母親にそっくりらしい。
気が強くてちょっと生意気で、でもそこがお前に似て可愛いんだよな。
が粗相を頻繁にするようになったのは、父が母にそう話しているのを聞いた後からではなかろうか。

「パ、パパ……」
「うん?」
「おしっこ、出るかも……」
「あー、まだ残ってそうか?」
「うん……」

あっと思った時には、まだ脱がされていないショーツから、チョロチョロと檸檬色の雫が滴り落ちてゆく。

「あ、やっ……」

浴室のタイルをバシャバシャと水が打った。むわっと湧き上がるアンモニアの匂いがいっそう羞恥心を掻き立てる。

「あぁぁ……」

本当はこんな恥ずかしい場面をパパには見せたくない。けれど最近、家で膀胱のコントロールが利かないのだからしょうがない。
父親は慣れているのか、二度目の失禁が終わるまで待って、もう一度タオルで汚れたところを拭いてくれた。

「下着、脱ごうな」
「ごめんなさい、パパ……」
「だから、いつも言ってるけど、マジで気にすることはないから」

ありがとう、という言葉は声にならず、代わりに涙だけが溢れる。

も、に遠慮せずにさ。もっと俺やママに甘えていいんだぞ」
「う、ん……」
「もう風呂入ったんだよな?」

こくりと頷くと、じゃあシャワーで流そうな、と汚れた下半身を丁寧に洗ってくれた。発育が遅いのか、恥毛すら生えていないの体は、一見すると幼女のそれのようである。だからこんなにも無防備に下半身を父親に晒せるのだ。今の自分はきっと、幼児と変わらない。

「ほら、これで綺麗になった」
「ありがとう、パパ」
「疲れただろ。パジャマに着替えてのんびりしてろ。また失敗したら、とか、そんなこと考えなくていいから」

小次郎ー、ちゃんの着替え置いとくねー!
浴室の外に母親の影が映る。父親が礼を返し、の濡れた下半身を手早くバスタオルで拭いてくれた。
腰にバスタオルを巻いて脱衣所に出ると、綺麗に畳まれたシンプルなネイビーのパジャマと替えの下着が置かれている。

「じゃあ、俺はもうリビングに戻ってるから、なんかあったら呼ぶんだぞ」
「わかった」

は清潔な石鹸の香りがするパジャマに袖を通し、ふとリビングのほうに耳を澄ませた。まだは泣き喚いているようで、頻りに「パパ、パパ」と甘えながら纏わりついているのがわかる。

(あんな風に素直になれたら、きっとこんな苦労はしないんだろうな……)

のことが羨ましかった。けれど粗相をした時だけ向けられる甘さと優しさが、舌の上で蕩ける上質なアイスクリームのように脳髄を幸福感で溶かすので、は今の自分の立場を甘受することに決めた。

妹ちゃん初登場です。