アクシデント

最近、父親の愛情が姉のばかりに向いていることがには不満だった。姉が精神的なストレスが原因で頻尿になり、時折お手洗いに間に合わず失敗してしまうのを、両親は自分達の愛情が一時とはいえにだけ向いていたのが理由だと認めたようだ。
それに気付いてからも、母親は以前と変わらずを可愛がってくれるが、父親の偏執的なまでの彼女への執着は薄らいだ。これを喜んだのは姉ばかりでなく、父だけが世界の全てである母親も同じだったろう。女同士の嫉妬は、母娘といえど恐ろしい。

(お姉ちゃんなんて、パパの気を惹きたくておもらししてるようなものじゃない)

だから少し前までは、二つ年上の姉が中学三年生にもなって頻繁にトイレの失敗をするのを苦々しく思い、あんな風にはなるまいと固く誓っていたものだ。しかしある日、放課後に冷たいジュースを一気飲みした所為で強い尿意に抗えず、トイレの真ん前まで来ては失禁してしまった。自宅には丁度父親しかおらず、後始末をしてくれたのも彼だったが、その時の優しさといったらどうだろう。幼少の頃に戻ったようで、は恥ずかしさの中に懐かしさと甘やかな感傷を覚えた。と同時に、粗相の度に姉がこんな幸福を甘受していると知り、猛烈に腹が立ったものだ。半分はわざとやってるんじゃないか、とが邪推してしまうのもその為なのだった。
はやけに膀胱が強いのか、幼い頃からオネショもしたことがないし、昼間の失敗だって幼少期に数えるほどしかない。従ってもしおもらしをするならば、「わざと」ということになる。
わざと大量の冷たいドリンクを飲み、わざと長時間我慢して、限界が来るのを待つ。
そうして自分がおもらしをして、父親に後始末を手伝ってもらうところを想像するのは、不謹慎ながらもわくわくした。が、彼女がその案を実行する前に、偶然が重なって悲劇が起こったのである。





その日は休日で、母と姉は二人で百貨店に出掛けていた。今度、家族全員の母校で開かれるサッカー部の決起大会に父と当時のチームメイトで現在は現役Jリーガーの三選手が呼ばれ、夏の高校総体に向けて部員達を激励することになっているらしい。

「そりゃあ、パパほど出世したサッカー選手は、東邦には後にも先にもいないもの」

ママは誇らしげに姉妹にそう告げた。それはそうだろう、とも思う。今度開催されるワールドカップの全日本代表選手にも選ばれている父は、普段はイタリアの名門クラブチームでプレーしている。はスター選手の娘であり、母親に至ってはそんな父を中学一年生の頃から支え続けて結婚し子供まで授かったのだから、糟糠の妻の見本のように世間では言われていた。
だからその時に着ていくお洋服を新調するの。ちゃんの分も選んでくるから。
母と姉はそう言って、早々に連れ立って出掛けていった。洋服の趣味は、は母親と合わない。彼女が選ぶのは大体、フリルやレースが多用されていて可愛過ぎるのだ。

「う〜ん、よく寝た」

よく晴れた日曜日、遅寝するのは気持ち良い。は清々しい気分で目を覚まし、トイレに行こうと階段を下りる。洗面所は二階にもあることを、何故かその日は失念してしまっていた。
階下のトイレは使用中で(多分、父親が新聞でも読んでいるに違いない)、結構ギリギリだったので仕方なくもう一度、二階に上がろうかと考える。

(こんなことなら、最初から二階のトイレに行けば良かった)

軽く後悔しつつ踵を返そうとしたら、リビングの電話が鳴った。

、起きてるなら電話出て。知り合いだったらかけ直すって言えよな」
「はぁーい」

しょうがないなぁ、と独りごちながら受話器を取ると、母方の祖母の華やかな声が聞こえる。

「まあ、まあ、ちゃん」
「おばあちゃま」

母親の両親は、姉妹をたいそう可愛がってくれていた。幼い頃の娘に生き写しということもあるのだろうが、両親の親族は皆、二人に優しい。

ちゃん、元気にしてる?普段は寮生活なんでしょう?ごめんなさいねぇ、貴女のママがパパから離れられなくて。どうしてもイタリアで一緒に暮らしたいって言うから―――」
「ううん、わたし達は大丈夫だから。おばあちゃま、心配しないで。ママがパパのこと好きなのは、見ててわかるもん」

は起き抜けの尿意を誤魔化すように、足をもじもじさせながら電話に応じていた。

(長くなりそうだなぁ……)

祖母と話すのは好きだが、今ばかりは早く話を切り上げたい。意識がはっきりするにつれて、下腹部にしこる重みも存在感を増してくるようだ。

(あ、んっ……)

誰も見ていないのを良いことに、パジャマの上からそっと脚の間を押さえる。父親がトイレの水洗レバーを流す音が聞こえた時は、水音に誘発され流石に少しちびってしまった。

(あ、ああぁ……)

それでも下着を透かす程には漏れていない。そのことに一先ず安堵したものの、電話の向こうの華やかな声は止まる気配がない。

「そうそう、小次郎くんすごい活躍してるわねぇ。今度は学校で後輩を激励するんですって?」
「うん、だからママとちゃんはその時に着るお洋服を新調しに出掛けてるの……」
「まあ、あの子ったら。洋服ならいくらでも持ってるでしょうに」

ほんと、優しい旦那様に甘えっ放しなんだから。呆れたように祖母は溜息をついている。ママに良く言っておいてね、おばあちゃまが苦い顔してたって。
は元気な孫を演じ、「うん、伝えておく」と殊更明るく答える。

(そろそろ、終わらないかなぁ……)

父親は電話の相手がサッカー関係者でないと気付いたのだろう。トイレから戻ってくるなり、リビングのソファに寝転んでサッカー雑誌を広げている。パパ代わってよ、とも言えず、は足をもじつかせながらなんとかそこから十分ほど持ち堪えた。

「じゃあ、ママが帰ってきたら一度おばあちゃまに電話するよう伝えてね」
「うん、わかったぁ」

これでやっとトイレに行ける。
受話器を置いた瞬間、そう安堵したのがいけなかったのだろう。チョロチョロと、ショーツの中に先程よりも多い量の尿が零れる。

「あっ……」
「どうした、?」

思わず声を上げたら、ソファに寝転んでいた父親が顔を上げた。

「う、ううん、なんでも……」

言い掛けたところで、緩みかけた括約筋は膀胱に溜まっている寝起きの大量のおしっこに押し広げられてゆく。

「あっ、やだ……」

ゾクッと全身が総毛立つような悪寒が背筋を走り、は思わず体を丸めた。

(あっ、あぁぁぁ……)

小さく呻いてしゃがみ込んだ娘に、慌てて父親が駆け寄ってくる。

「どうした、気分悪い?」
「違……」
「もしかして、トイレ我慢してたのか?」
「ぅ、ん……」
「動ける?」
「もぅ無理……」

ちょっと待ってろ、と父親は洗面所へと走り、厚手のバスタオルを何枚も手にして戻ってきた。

、パジャマのズボン脱げるか?」
首を力なく横に振る。指一本でも動かそうものなら、堰き止められている水が奔流となって流れ出そうだった。

「あー、じゃあパジャマ汚れてもいいから、せめてこっちでしよう、な」
「ふえぇぇ……」
「悪かったな、気付いてたら電話代わってやれたのに」

しゃがんだ脚の間に重なったバスタオルが差し入れられる。
強さを増していく一方の尿意に抗う術は、にはない。最初はちょろちょろと出ていたおしっこが、次第に勢いを増し大きな排泄音を立てて放出され、音もなくバスタオルに吸い込まれていく。

「嫌ぁ……見ちゃダメ……っ!」
「わかったよ、終わったら言えよ」
「うわああぁぁん……」

おもらしするところは何度も空想したけれど、実際に限界失禁を経験するとあまりの恥ずかしさに顔から火が出そうだ。姉と色違いのアイボリーのパジャマの股間が色濃く染まってゆくのを惨めな気持ちで眺め、全て出し切る頃には脱力したようにへなへなと座り込んだ。

、大丈夫か?」
「ごめんなさい……」
「いや、しょうがないよ。電話、お義母さんだったんだろ」
「うん、でも……」

こんなに派手におもらしする前に、ちゃんと自分で言えば良かった。肌に張り付くショーツとパジャマのズボンが冷たくて不快で、の大きな瞳からはポロポロと涙が零れる。

「泣くなって」
「だって、だってぇ……」
は優しいから言えなかったんだよな」

優しい言葉をかけられればかけられるほど泣けた。長身の父親と向き合えば鳩尾辺りまでしかない背丈。きっと父親から見れば、幼子を見ているようなものだろう。は本当に幼児に戻ったように、大声を上げて泣いた。

「うわあぁぁん、ごめんなさい……」
「うん、謝らなくていいから、大丈夫だからな」
「おもらし、中学生になって二回目だよ……?」
は気にし過ぎるんだよ。大人になってからでも漏らすことあるんだぞ」

父親はそう言って、ママに訊いてみろよ、と笑う。

「ほら、早く着替えような。そのままじゃ風邪引いちまう」
「う、ん……」

目を擦りながら洟を啜っている間に、彼は手際良くパジャマを脱がし、傍らに置いてあった乾いたタオルで脚や秘部を拭っていった。

「パパっ、おトイレ行きたい」
「え、今?」
「うん……」
「ああ、じゃあどうせ濡れてるから、ここでしたら」

たっぷりと水気を含んだバスタオルを指差され、一瞬躊躇ったが、そのままでいたらまた漏らしそうだったのでは意を決してその上にしゃがみ込む。大して力を入れずとも、シィィーと細い音がして、まだ黄色の濃いおしっこがタオルに吸い込まれていった。

(恥ずかしい……)

最中はあまりの羞恥心に、膝頭から顔を上げられない。

「なに今更恥ずかしがってんだ。顔上げろよな」
「だって……」

真っ赤に染まった顔を背けるに、父親は可笑しそうに笑う。

「着替え、どこだっけ?」
「お部屋」
「じゃあ、適当に取ってくるから。そのままじゃ寒いだろ、これ巻いてような」
「あ、ありがとう……」

ふかふかのバスタオルを腰に巻いたまま、ちょっと待ってろと言い残して父親は二階の子供部屋へと向かったようだ。

(今日も、怒られなかった……)

それどころか、やっぱり優しかった。隣に積み上げられた黄色く染まっているバスタオルは途方もなく恥ずかしい失態の証拠だけれど、触れた手の温かさや低く甘い声を思い出すと、の花弁のような唇から小さく熱い吐息が零れる。

「ほら、これに着替えろよ」
「う、うん……っ」

一旦洗濯機回したほうがいいよなーと呑気に呟いている父親の背中に、耳朶まで紅くなるのを感じながら、は精一杯の気持ちで「ありがとう」と告げた。

パジャマで、というのが好きです。